エスナック教育里親グループ
私たちESNAC(Educational Sponsorship of Needy Asian & African Children)は、キリストの愛の精神に基づいて、宗教・人種・貧富を超えて、全ての人々を受け入れる国際協力NGOです。
教育を通してアジアとアフリカの恵まれない子どもたちが自立するための援助を行ってきました。2025年はインド・バングラデシュ・エチオピア・ケニア・タンザニアの子どもたちの支援をしています。
これまでに、一万人以上の子どもたちが日本の里親さんのおかげで学校に通うことができました。
1970年代、黙想、祈りの指導者として、世界中を訪れていたシスター藤田はインド南西部ベロ島で一人の女の子、マグダレナ・ロペスちゃんに出会いました。
インドの貧しい人々の生活は朝から晩まで働いても一日の収入は当時の日本円で30円で、学校に行く時間もお金もありません。
その頃のインドの識字率は40%でした。
自分の名前さえ書けない人の存在が、自分とは関係ないと思ってはならない。
帰国したシスター藤田はすぐに、日本国内で里親を募り「エスナック」を設立しました。
エスナックは、次の二点を大切にし活動をしています。
・現地の人々の必要性に答えるために、現地の人々の立場に立って、ともに考えながら、活動を推し進めます。
・日本からの一方的な援助ではなく、心の豊かな現地の子ども達の祈りにより、援助する側も助けられる相互協力であることを忘れません。
『ドンノバット!!』目を輝かして感謝する少年。ぼろぼろになった服と骨に張り付いたような垢まみれの皮膚。雨季の夜中の到着便でダッカ空港に着いた私の大きな荷物を泥沼の中を運んでくれたこの少年。真夜中にこの重い物を泥濘の中を運んで1タカ貰い、心から感謝していた少年。私の胸の中にまで差し込んだこの少年の美しい瞳の輝き!
『この美しい瞳と感謝の心を、日本の子ども達に分けてほしい!』と熱望しました。それ以来50回以上も訪問したバングラデシュやインドで、その時の感激を経験し続けています。
一人の里子が自立するまでには十年以上の年月が必要です。今では里親さんの愛にあふれた支援のお陰で1万人近い子ども達が、インド・バングラデシュ・ネパール・ブータン・エチオピア・ケニアで、教養ある人間として自立し社会に貢献しています。例えば無医村の医師や看護師、また良い家庭をつくり子ども達を立派に教育している母親たちもいます。バングラデシュでは40人近い司祭が里子神学生から誕生しました。
今ではどんなに多くの里親さんたちが エスナックのモットー“愛することで、愛を知る喜びを!”(Love! You Receive More Than You Give!)を体験して下さっていることでしょう!
エスナック独自の方針として、バングラデシュの山岳民族や最も貧しいお茶園の労働者・インドのスラムや女性蔑視地区・エチオピアの山岳地帯のように、支援が困難な場所、援助の届きにくい地域を優先しました。
里子の養育費とは別に1999年、現地の切羽詰った要望に少しでも応えられるように「わかち合いの泉基金」を設立しました。山岳民族の子ども達のために寄宿舎を建設し、17の山岳民族の子ども達は今では、殆ど勉強できるようになりました。最も貧しいお茶園や山岳民族の人々が、これからも人間らしい平和な生活が出来るように、これからも皆様のご協力を切に願っています。
代表理事 南部憲克
Love, and you'll receive more than give!
1979年、今から43年前、インドのロべ島でひとりぼっちの少女が、ポケットからの養育費を受け、これからも受け続けられることを知って、生きようとの希望を得た。この一歩は、やがてインド・バングラディシュ・エチオピア・ケニアまでに広がり、巣立った里子達は、既に1万人を超えた。
南インドチェンナイのマルコホームにはポリオに感染し足が不自由になった子供たちが暮らしている。皆、両手で這って移動していた。一人の女の子は床の少しの段差を越えられない。だけど皆は、その傍を這って素通りする。それがこのホームのルール。 やがて皆手術を受け、足で歩いて教室に出入りできるようになった。手の汚れを気にしなくても、屈まなくても握手できるようになった。
キーチャラムの家では、親と離れた子ども達が、取り囲むように建てられたバラックに住み勉強している。 大きなマンゴーの樹が一本、男の子が高くまで這い登って青いマンゴーを収穫する。その横では女の子が水牛の手綱を持ってジャガイモ畑を耕す。
大都会ムンバイのスラムスクールでは、子ども達が、カレーの昼食に列を作っている。重い鉄の扉で仕切られた隣のスラム街から皆裸足で次々と勉強にやってくる。
バングラデシュの北端シレットの小学校では、茶畑の奥急斜面に追いやられた山岳民族の子ども達が歓迎の歌を唱う。皆歌うのが大好きだ。ささくれた黒板の前、溢れる歌声、別れの歌は、夕空に立ち昇る。そのうちの多くはエスナックの里子だ。
波紋は広がる。里子からその友達に。
麻酔をかけないで手術を受け、浮いた費用を友達の手術に廻す。
痛みを我慢して一人でも多く足で歩けるように。
節約を重ねる。1人でも多くの友達がボールペンや紙を使って勉強できるように。
それまで写真でしか知らなかったのに、現地訪問ができた里親は、里子と出会い、親しみを感じ、一気に一体感を覚える。 自分の小さな力が強く大きく広がっていることを実感する。
帰国して、養育費をエスナックに託す送金の道すがら生き生きと歩いていて、里子が内にいて励ましてくれていることに気付くという学校の先生、看護士、カトリック司祭、銀行員、自動車修理工などとなって社会に散って行ったあの男の子・あの女の子たちは、今どのように暮らしているだろうか?
見返りを求めるではなく、髙くからの憐憫の情でもなく、自己犠牲に酔うのでもない。
「愛をあげて、愛を知る。」
エスナックは里親と里子の架け橋。