Love! You Receive More Than Give
1979年、今から43年前、インドのロべ島でひとりぼっちの少女が、ポケットからの養育費を受け、これからも受け続けられることを知って、生きようとの希望を得た。
この一歩は、やがてインド・バングラディシュ・エチオピア・ケニアまでに広がり、巣立った里子達は、既に1万人を超えた。
南インドチェンナイのマルコホームにはポリオに感染し足が不自由になった子供たちが暮らしている。皆、両手で這って移動していた。一人の女の子は床の少しの段差を越えられない。だけど皆は、その傍を這って素通りする。それがこのホームのルール。 やがて皆手術を受け、足で歩いて教室に出入りできるようになった。手の汚れを気にしなくても、屈まなくても握手できるようになった。
キーチャラムの家では、親と離れた子ども達が、取り囲むように建てられたバラックに住み勉強している。 大きなマンゴーの樹が一本、男の子が高くまで這い登って青いマンゴーを収穫する。その横では女の子が水牛の手綱を持ってジャガイモ畑を耕す。
大都会ムンバイのスラムスクールでは、子ども達が、カレーの昼食に列を作っている。重い鉄の扉で仕切られた隣のスラム街から皆裸足で次々と勉強にやってくる。
バングラデシュの北端シレットの小学校では、茶畑の奥急斜面に追いやられた山岳民族の子ども達が歓迎の歌を唱う。皆歌うのが大好きだ。ささくれた黒板の前、溢れる歌声、別れの歌は、夕空に立ち昇る。
そのうちの多くはエスナックの里子だ。
波紋は広がる。里子からその友達に。
麻酔をかけないで手術を受け、浮いた費用を友達の手術に廻す。
痛みを我慢して一人でも多く足で歩けるように。
節約を重ねる。
1人でも多くの友達がボールペンや紙を使って勉強できるように。
それまで写真でしか知らなかったのに。
現地訪問ができた里親は、里子と出会い、親しみを感じ、一気に一体感を覚える。
自分の小さな力が強く大きく広がっていることを実感する。
帰国して、養育費をエスナックに託す送金の道すがら生き生きと歩いていて、里子が内にいて励ましてくれていることに気付くという。
学校の先生、看護士、カトリック司祭、銀行員、自動車修理工などとなって社会に散って行ったあの男の子・あの女の子たちは、今どのように暮らしているだろうか?
見返りを求めるではなく、髙くからの憐憫の情でもなく、自己犠牲に酔うのでもない。「愛をあげて、愛を知る。」エスナックは里親と里子の架け橋。
エスナック代表理事 南部 憲克